りおさともきあ

riosatomokiaのリアル知人紹介と思考を集めます

狂気からしか欲しい未来はつかめない

雑誌編集者だったとき、月刊誌だったから毎月修羅場をむかえてた。いわゆる「校了」よりも、その一歩手前の原稿を作ったり、ページにおさまるように分量を調整したりの、「入稿」の一週間が一番苦しかった。

 

一番記憶に残っているのは23人を巻頭で掲載したとき。人の名前や固有名詞を間違えないようにはもちろん気を使うけど、何より内容をいいものにしたかった。1mmも妥協したくなくて、休日も出社して他の部の仕事中毒な編集長と二人で仕事してた。せっかく聞いた良い話を、自分の力量のせいで温度を下げて伝えたくなかった。それでも2.5人分くらいしかページは作れなくて、愕然とした。

少しでも多く情報を盛り込んで、具体的な話をバンバン載せて、その人の話を直接聞いているくらいにしたかった。

 

狂気なくらいに、「ああもう駄目だ…絶対終わらない…」って思うくらいに、周囲の人が心配するくらいに限界まで何かをやったことのある人がどれくらいいるか。自分ではやってもやっても終わる気がしなくて、そんな自分にとって大変なことをいとも簡単にサラッと終わらせてしまう人たちの中に囲まれて、悔しいとか、もう無理だとか、それでもやり続けること。

逃げたくて、実際逃げて、逃げられなくてまた戻る日々。体や心を壊して離れる人、違う道へ進む人、不本意でも違う場所へ行かなければならない人をそのたびに見送って。

当時の私はその他の道でこの場所以上にうまくやれるとは思えなくて、だから必死で踏ん張って、そしたら売れた。そのころから居場所も、いつしか唯一無二のポジションをつかみ始めた。ターニングポイントだったのかなと思う。

 

狂気を乗り越えた人しか欲しい未来はつかめない。

残酷であり、公正であり、続けた人が結果を出す。

だから私もあの頃の狂気を取り戻すために、ちゃんと未来を見つめようと思う。

 

尊敬する糸井重里さんは、手弁当でほぼ日を創業した。自分の仕事の稼ぎを全て投資して、新しいことに賭けた。毎日、毎週、毎カ月、毎シーズン、毎年続けて17年。

同じく尊敬するしょこたんは、ずーっとずーっとブログを書き続けて、そうしたら人生がどんどん楽しくなって、今はネガティブな言葉をあまりtwitter上でも見なくなった。

 

みんなキレイな部分しか見ないから、見えないから、人はそれをスゴイとか才能とか言う。だけど彼らが天才だとかなんて私は思わない。本当に誰だって私たちと変わらない普通の人だ。むしろ愚直に、どんくさいほどに、きちんとコツコツ向き合ってきたから現在があるのだと。

その裏にどれだけ苦しいことがあったか。しんどさ、カッコ悪さ、失敗、回り道、痛み、孤独、ひっくるめての成功で、だから言葉に深みがあるのだと。

 

そんな当たり前のことを、東村アキコさんの『かくかくしかじか』を読んで思い出した。成功している人の描くものは、やっぱり熱量が違うね。