りおさともきあ

riosatomokiaのリアル知人紹介と思考を集めます

結婚相手に抱いていた理想と、現実に結婚した人が全然違った

結婚するまでは結婚なんて30歳を過ぎてからでいいと思ってたし、ずっと「お互いに高め合える人がいい」と思ってた。毎日その人の存在が自分の刺激になるような関係が自分にはぴったりだと信じていた。

 

ところが30歳になった私が実際に結婚した旦那は、判断を誤らなくて良かったと思えるくらいの「いいひと」だった。

「今日雨だよーふえーん」とか言うと(新婚なんで会話なんて無意味なものが多い)、『笑いな』と言ったり、ふざけてべたべたまとわりつくと『しっしっ』と追い払われるのが嫌だ!と訴えたら『じゃあ「すっすっ」て返しな』とか、私はとても根暗でdirtyな人間なので心が洗われる毎日を過ごしてる。

 

付き合う前に会ったとき、吉祥寺で一軒家のとても素敵でおいしいと有名な洋食屋さんに予約して連れていってくれたのに、当時落ち込み激鬱モードでほぼ食事に口を付けられなかった私に「無理せんで食べ切れなかったら残したらええよ」と言われたことがあった。

無理しなくていい。その後何度も繰り返し聞く言葉に、あの時は「いい人すぎて申し訳ない」と思ったけれど、今ならそういう姿を見せられたから一緒にいるのかなぁと思う。

 

結婚した今だから本当によく分かる。小学生レベルの下ネタや関西人なのにギャグセンスが寒いこと、毎日屁を放ちまくることなんて全く大した問題ではなく、私の好きな芸術やら音楽やらアーティストやらの話を熱弁しても半目で興味なさそうに眠そうにすることも全然問題ではない。

(しかも私が好みだった「お互いに高め合える関係」だった過去の彼氏は、私よりさらに高みを目指して去っていったよ…!)

 

結婚に必要なのは安心や安らぎであり、支え合うことだった。いわゆる刺激は外の社会や友人からいくらでも受けられる。趣味が同じなら、家でも意見のディスカッションをしていたのかと思うとそれだけで疲れてしまう。

ダメダメなとき、最高調なとき、どんな日でも一緒に過ごすのだからカッコつけて生活なんてできるわけないんだと結婚してから腑に落ちた。

 

何をしても大丈夫だし、何をしてもこの人を支えようと思う人と人生のタッグを組めたことは、本当にラッキーだ。だからこそ力が発揮できるなんてこともあるのかな。