りおさともきあ

riosatomokiaのリアル知人紹介と思考を集めます

3月2日

物心ついた頃から一人っ子ということもあって、子どもは絶対産まなければと思っていた。父と母、そのまた祖父母、遠い血族など血筋が私で途絶えてしまうのは、何だか忍びなくて。

その割には特別子ども大好き!!!というわけでもなく、むしろ上司に「子どもとか好き?(私の顔を見て)嫌いそうだよねー!」と言われるような感じだった。

 

就職してからは仕事もそれなりに楽しかったし、山あり谷ありだったし、仲のいい友達も産んでいる人がまだ少ないしなどとじわじわと先延ばしにしていた。

結婚したことをきっかけに産むならちゃんと向き合った方がいいなあと、自分のためにも子育てしている人の話を聞き回った。みんな自分の時間がなくて、大変そうで、会社でも保育園でも近所でも街中でも話を聞いたお母さんたちは頭を下げていて、仕事しながら子育てとか超無理ゲーと思って萎えまくった。

 

独身時代や既婚子なしのキラキラした自由な生活や、好きなものを好きな時に食べに行ける権利、給料を限定コスメや高級なグルメや旅行に費やせるということはとんでもない魅力だったから、なかなか子どもを持つ覚悟は決まらなかった。

自分が子育てボケしてそっちに染まってしまうことがものすごく怖くて、しかも「そっち」の世界に行ったらもう「こっち」の世界にはしばらく戻ってこれなくなりそうなのも私をビビらせた。

 

だけど大好きだった仕事を手放して、この人なら大丈夫だなあと思える人と毎日を暮らしていく中で、このまま子どもがいない生活もきっと楽しいけど私はやっぱりいたらいいなあと思って。

人生の選択肢はいくつも選べない。幸運にも子どもは欲しいなあと思うそのタイミングでやってきた。

 

今日3月2日は出産予定日。

先生には近いと言われたもののまだ出てくる気配はなく、一応一通りのベビーグッズや授乳服を用意してスタンバっているけれど、私の子どもはまだお腹の中でうにょうにょくつろいでいる。

 

産まれるまでは何があるか分からないから、今でも「本当に出てくるのかなー」なんて臨月のお腹を触って思う。

そして会社の人や街中の人、親戚が思った以上に新しい命を認めて歓迎してくれたことに驚いた。多分世の中の多くの人がこうして祝福されて産まれてきたんだと。特に山手線の電車なんか初期の頃にたくさんの人に席を譲ってもらって、本当にありがたかった。

 

つわりで3kg痩せたし、足はゾウみたいにむくむし、ボディクリームを文字通り塗りたくってもミミズ腫れみたいな妊娠線は防げないし、のしのしスピードでしか歩けない、ひえーーって思うようなことばかりだけど、今は会えるのが楽しみです。

早生まれ保育園どーすんのとか虐待とかうつ大丈夫かとか色々懸念はあるけど、自分で決めて選んだ選択肢を、大切にしたいと思う。

生まれた環境は関係ない。才能も特技も自分でつくれる

「それカワイイね」ってアイテムじゃなくて、組み合わせのファッションセンスを褒めてもらえることがよくある。でもそこにいくまでにどれだけの失敗をしたかは、褒めてくれる人たちはあまり知らない。

 

私の現在のファッションセンスは、間違いなく大学時代の迷走によってつくられた。入学してからCanCamみたいなOL系ファッションに憧れて、でも当時流行ってたピンク色のプライド・グライドの3万とか5万円するワンピースなんて買えないから、一度の洗濯で色あせちゃう安いカットソーをたくさん買ってた。

色の組み合わせで見せるコーディネートを提案してた『mina』みたいなオシャレができる友達に憧れて前髪を切ってもらったら、切られすぎて眉上5cmのもんちっちみたいになったこと。

その友達のファッションを真似したら、品質勝負で一枚で着るCanCamと3枚位トップス重ねて着るminaの提案傾向が違いすぎて、どんなに洋服を買い足してもコーディネートできずに着る服がなくなったこと。

 

その前なんて、もっと色々ひどかった。高校時代は1,900円位の白くてぺらぺらで安いキャミソール1枚にデニムスカートを合わせて、カーディガンも何も羽織らず志望校の慶應大学オープンキャンパスに行ってた。制服だったしちゃんとしたバイトもできなかったから、そもそも自分で選んだ私服をあんまり持ってなかった。

 

大学に入ってから、本当にたくさん無駄な洋服を買った。安いからって一度も袖を通さないまま埃まみれで着られなくなったトップス、500円で買ったポリエステル感満載の水を吸い取らないタオル地みたいな白コート、サイズが合ってなくて変なしわをたくさんつけたスカート。ピンクベージュの服ばっかり買った。靴下とボトムスが合わない。

 

そういう失敗に何十万円も費やして、何百時間も色んなショップを覗いて、肌感覚で少しずつ身につけていったセンス。身銭を切って無駄なことをたくさん経て、それでもセンスの良い人にはかなわない。息をするのと同じくらいの早さでコーディネートを組める人が世の中にはたくさんいる。でも人に笑われないような格好は分かるようになった。

 

ファッションセンスだけじゃなくて、何でもそうだなーと思う。天性の才能はなくても、どうにかしたかったらもがくこと。もがいて、自己嫌悪に陥って、それでもお金を使って、そうした諦めなかった人が才能や特技を手に入れてる。

やることやってる人を、やることやらないやつは一生超えられない

ずーっとずーっと思ってること。くだらないことでも、大したことないことでも、バカバカしいことでも、やるべきことをやっている人に、やっていない人がとやかく言える資格なんてどこにもない。

 

貯金したいって言う人よりポイントサイトで毎日こつこつクリックしてる人のがエライし、作家になりたいって夢風呂敷を広げる人より毎日ヘタクソなブログ書いてる人が夢に近づいてるし、大事にするよって優しい言葉をかける既婚者より一緒に飲んでくれる異性の友達の方がずっと優しい。若いうちには気付けなかったけれど。

 

恋愛だって仕事だって趣味だってお金だって家事だって人生だって、やっている人の強さは半端ない。実際に自分が「やる」ことって、ものすごく根気のいることだから。やる気がいる、習慣がいる、時間がいる、気合いがいる、もしかしたらお金もいる、人手もいる。やらないための言い訳なんて私たちはいくらでも言える。やれないための事情もいっぱいある。大きな理想を語ることは、「オレはまだ本気出してないから」って言うことは、自分を守ることであり誰かを失望させないための予防線だ。

 

その真理が腹落ちしてからは、やっている人ばかりを追い掛けるようになった。糸井重里さんとか、しょこたんとか、はあちゅうとか、やっている人ばかりを見習うようになった。信じるべきことはみんなそれぞれ違って、むしろ意見に全て賛同することばかりではないのだけど、やっている姿勢とか、覚悟とか、もうそういうのは共通で今の私は文字通り脱帽するしかない。例えば上に上げた3人は間違いなく私より忙しい毎日を送っていて、それでも暇な私よりSNSやらリアルやら活動している。やることやりまくっている。だから一般の人よりも登り詰めた場所にいるんだと思う。

 

書くことすら憚られるけれど、私も届きたい。きらきらした人たちと同じフィールドで、願わくば健闘をたたえ合えるような世界に立ちたい。届くだろうか、実行力を身に付けて高みに登れるだろうか。諳んじて言える『吾輩は猫である』の一節「人生の目的は口舌ではない実行にある」人生を私も送れるだろうか。

昔から何度も何度も何度も反芻していたけど、ようやく山の先っちょが見えてきた気がするんだ。

居酒屋で2時間35歳の友人にした酔っ払い談話が、2時間5千円の進路カウンセラーと同じ内容だった

鬱なツイートばかり流していてタイムライン上にフォロワーの少ない私が勝手に心配になったので、35歳の友人と久しぶりに飲みに行った。35歳なので、仮に35とする。

 

35は「正社員」を求めてやりたい仕事に向けて頑張ったりもしたけれど、本人の言葉を借りれば「契約社員にしかなれなかった」。面接では35歳の壁も感じていて、現在は仕事に就いていない。失業保険を受けながら、カフェでランチをして資格の勉強をしたり、面白そうな東京ビッグサイトの展示場に参加したり、話題の新しい専門学校の試験を受けてみたりしていて何がやりたいのか進路迷子になっていた。あと1カ月したら失業保険が切れるのでそのことに焦りつつも、長年交際中の正社員のパートナーと結婚の話題もちらほら出ているのだという。

 

話を聞きながらお酒の勢いも借りて「そんなんじゃいつかパートナーに捨てられるよ」と不幸の予言を吐く毒舌な年下の私。

 

『みんな自分よりすごいんだよ。何もハマれないし、オタクが羨ましい』「じゃあ、35は毎日行くカフェの人も自分よりすごいと思う?」『それは…自分のがもっとうまくできるかなって』「(喰い気味に)ホラそうじゃん!みんな全然大したことないよ。でもカフェの人は固定収入があって35はない。35のが仕事ができたって世間ではそういう評価をされちゃうんだよ。もったいないじゃん」

 

するとごそごそとカバンから紙を取り出し「実は……」と有料サロンの話をし始めた。いくらか忘れたけど安くはない会費で参加している有料サロンの課題を、図らずもワリカンの酒代で1つ共有できた私。お金を稼ぎたいのに、お金を使ってばかりの35。

 

なんだろう。

 

『履歴書に、ガッカリされたくなくて『これはできない』みたいなことを書くんだけど』「!?!?!?何で!?聞かれたらできませんって言えばいいじゃん!」『いや、もうこの年齢だから、当たり前にあれもこれもできるとか思われたくないんだよ』「どんな会社だって初めて入ったらできない知らない分からないことだらけだよ!その時はスイマセン何も知らなくてって教えてもらえばいいじゃん。できなかったら、これから覚えますって」

 

35はアルバイトのときの先輩だった。接客を教えられるプロフェッショナル、とまではいかなかったかも知れないけれど、私なんかよりもっとホスピタリティやちゃんとした応対をしていた。多分今同じ仕事をしても相手の方ができるだろう。経験年数が違うからとかじゃなく、ちゃんと人と向き合える姿勢を持っている。そんな35が仕事が「できない」人だとは思わない。でも35が心底「やろう」と思わない限り、外野がヤイノヤイノけしかけても1ミリメートルも変わらない。

 

年下なのに突然職場の最寄り駅まで来てもらって、酒飲んで偉そうに管を巻く私だって転職直後で思うように仕事ができていなくてあの日だってああだったらって思うこともたくさんあって、どうしようもない人間だ。みんな似たり寄ったりだ。それでも違うのはなんだろう。

 

『カウンセラーに全く同じことを言われた。2時間5千円も払ったよ』「じゃあ私がLINEで毎日エライ人のやる気が出るお言葉を送るから、月10万円ちょうだい」「10万円!高いよ』「でもそれで一ヶ月後に就職して年収が500万円とかになったら、安いもんじゃない?」『何進めてんの!入っちゃうから!w』

 

冗談とも本気とも取れるアドバイスで2時間5千円の内容と同じなら、私も今すぐ稼げるかしら(っていうかその2時間5千円、ぼったくりだったのでは)。

こういう人がせめて腐らないで報われるような社会にしたいけど、世界は行動できない人をどんどん追い去っていく。いつまで、誰もがこんな社会を走り続けられるだろう。

遅刻したら普通以上の成果を出す覚悟がなくちゃ

退職メールを複数のお世話になった人に一通一通送信したとき、速攻で出先の携帯から返信をくれた社長がいた。予め一人一人に当てて書いたメールを3人目に送信する最中に届いた。短い文章だけどとてもシンプルに借り物の言葉じゃない応援メッセージが書かれていて、さすがだなあ、やっぱりみんなを引っ張っていく社長さんは違うなって思った。

 

その後次々と返事が届いて、あー送っても良かったんだな~私幸せ者だなあってしみじみしてた。親しくなったと個人的に思っていてとても情に厚そうな2人からは全く音沙汰がなく、仕事上の付き合いならそういう人も当然いるよねと思ってた。

 

ある日、突然会社に私宛に荷物が届いた。中身はかわいい箱にたっぷり詰まった焼き菓子と、その会社の全国のチームメイトからのメッセージ。書いてくれたチームメイトは個人的にもメッセージを返してくれた人ばかりで、本文はカードのようにきれいな印刷紙に一人一枚ずつプリントアウトしてあった。活動拠点がバラバラだから、メールで集めてプリントアウトしてまとめて送ってくれたのだと分かった。

チームメイトはみなさん個人から私のメールにも返信をくれていたので、二重に私宛にメッセージを寄せてくれたことになる。退職挨拶メールを送ってから二週間後くらい。サプライズで秘密裏に進めてくれていたのだろう。毎回原稿をいつも大幅に遅れていても、必ず素晴らしい原稿をくれるこの人らしいなと思った。

 

もっと遅れてメールをくれた人は、件名に「新しい出発おめでとうございます」というメールをくれた。辞める理由は具体的に書かなかったから同じような内容を本文で書いてくれた人はいたけれど、特に何も聞かずに、決断を肯定してくれたことがうれしくてすごく良く覚えている。

 

これはメールの話だけど、仕事でも遅れて普通のものを出すんじゃ意味がない。遅刻した時点で相手の自分に対する評価は+じゃないから、「普通以上の」成果を出さないともうそのミスを取り返せない。

 

逆に言うと普通以上のものを出すぞというプレッシャーをかけるなら、遅刻しても許される可能性があるってこと。なんて自分の遅刻癖を正当化してみたり。

結婚相手に抱いていた理想と、現実に結婚した人が全然違った

結婚するまでは結婚なんて30歳を過ぎてからでいいと思ってたし、ずっと「お互いに高め合える人がいい」と思ってた。毎日その人の存在が自分の刺激になるような関係が自分にはぴったりだと信じていた。

 

ところが30歳になった私が実際に結婚した旦那は、判断を誤らなくて良かったと思えるくらいの「いいひと」だった。

「今日雨だよーふえーん」とか言うと(新婚なんで会話なんて無意味なものが多い)、『笑いな』と言ったり、ふざけてべたべたまとわりつくと『しっしっ』と追い払われるのが嫌だ!と訴えたら『じゃあ「すっすっ」て返しな』とか、私はとても根暗でdirtyな人間なので心が洗われる毎日を過ごしてる。

 

付き合う前に会ったとき、吉祥寺で一軒家のとても素敵でおいしいと有名な洋食屋さんに予約して連れていってくれたのに、当時落ち込み激鬱モードでほぼ食事に口を付けられなかった私に「無理せんで食べ切れなかったら残したらええよ」と言われたことがあった。

無理しなくていい。その後何度も繰り返し聞く言葉に、あの時は「いい人すぎて申し訳ない」と思ったけれど、今ならそういう姿を見せられたから一緒にいるのかなぁと思う。

 

結婚した今だから本当によく分かる。小学生レベルの下ネタや関西人なのにギャグセンスが寒いこと、毎日屁を放ちまくることなんて全く大した問題ではなく、私の好きな芸術やら音楽やらアーティストやらの話を熱弁しても半目で興味なさそうに眠そうにすることも全然問題ではない。

(しかも私が好みだった「お互いに高め合える関係」だった過去の彼氏は、私よりさらに高みを目指して去っていったよ…!)

 

結婚に必要なのは安心や安らぎであり、支え合うことだった。いわゆる刺激は外の社会や友人からいくらでも受けられる。趣味が同じなら、家でも意見のディスカッションをしていたのかと思うとそれだけで疲れてしまう。

ダメダメなとき、最高調なとき、どんな日でも一緒に過ごすのだからカッコつけて生活なんてできるわけないんだと結婚してから腑に落ちた。

 

何をしても大丈夫だし、何をしてもこの人を支えようと思う人と人生のタッグを組めたことは、本当にラッキーだ。だからこそ力が発揮できるなんてこともあるのかな。

狂気からしか欲しい未来はつかめない

雑誌編集者だったとき、月刊誌だったから毎月修羅場をむかえてた。いわゆる「校了」よりも、その一歩手前の原稿を作ったり、ページにおさまるように分量を調整したりの、「入稿」の一週間が一番苦しかった。

 

一番記憶に残っているのは23人を巻頭で掲載したとき。人の名前や固有名詞を間違えないようにはもちろん気を使うけど、何より内容をいいものにしたかった。1mmも妥協したくなくて、休日も出社して他の部の仕事中毒な編集長と二人で仕事してた。せっかく聞いた良い話を、自分の力量のせいで温度を下げて伝えたくなかった。それでも2.5人分くらいしかページは作れなくて、愕然とした。

少しでも多く情報を盛り込んで、具体的な話をバンバン載せて、その人の話を直接聞いているくらいにしたかった。

 

狂気なくらいに、「ああもう駄目だ…絶対終わらない…」って思うくらいに、周囲の人が心配するくらいに限界まで何かをやったことのある人がどれくらいいるか。自分ではやってもやっても終わる気がしなくて、そんな自分にとって大変なことをいとも簡単にサラッと終わらせてしまう人たちの中に囲まれて、悔しいとか、もう無理だとか、それでもやり続けること。

逃げたくて、実際逃げて、逃げられなくてまた戻る日々。体や心を壊して離れる人、違う道へ進む人、不本意でも違う場所へ行かなければならない人をそのたびに見送って。

当時の私はその他の道でこの場所以上にうまくやれるとは思えなくて、だから必死で踏ん張って、そしたら売れた。そのころから居場所も、いつしか唯一無二のポジションをつかみ始めた。ターニングポイントだったのかなと思う。

 

狂気を乗り越えた人しか欲しい未来はつかめない。

残酷であり、公正であり、続けた人が結果を出す。

だから私もあの頃の狂気を取り戻すために、ちゃんと未来を見つめようと思う。

 

尊敬する糸井重里さんは、手弁当でほぼ日を創業した。自分の仕事の稼ぎを全て投資して、新しいことに賭けた。毎日、毎週、毎カ月、毎シーズン、毎年続けて17年。

同じく尊敬するしょこたんは、ずーっとずーっとブログを書き続けて、そうしたら人生がどんどん楽しくなって、今はネガティブな言葉をあまりtwitter上でも見なくなった。

 

みんなキレイな部分しか見ないから、見えないから、人はそれをスゴイとか才能とか言う。だけど彼らが天才だとかなんて私は思わない。本当に誰だって私たちと変わらない普通の人だ。むしろ愚直に、どんくさいほどに、きちんとコツコツ向き合ってきたから現在があるのだと。

その裏にどれだけ苦しいことがあったか。しんどさ、カッコ悪さ、失敗、回り道、痛み、孤独、ひっくるめての成功で、だから言葉に深みがあるのだと。

 

そんな当たり前のことを、東村アキコさんの『かくかくしかじか』を読んで思い出した。成功している人の描くものは、やっぱり熱量が違うね。